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ニッキニキ

稚拙とはいえ久々に文章ができると、絵を描く等で発揮できず悶々とした部分が鍛えられて気持ちがいいことに気づく。無料で頭の中からでてくる可能性を手指を通して目の前に表すことに可能性を感じるのは私だけではないはずだ。しかし、最近(いつ?)は文章というものの立ち位置が微妙になってきていて、これは50年前の本(哲学書とかでなくて娯楽的な本)と今の本を読み比べると強く感じるのだが、文章、内容が簡単になっているのである。日々に追われる中でも追いつかれきらず、ボーッと考えている中で思うことなのだが、簡単、シンプル、わかりやすいというのはプレゼンテーションとして強く機能する。これがやりたい、これを受け取りたいという気持ちもわかるが、それらが強迫観念のようになってくると、結論がないものやわかりにくいもの、インパクトが弱いものは良くないものだとされてしまう。悪くしたくないので、よりわかりやすくというループに時代がハマっていると感じる。かくいう私もドツボにハマっているのだが。わかりやすく編集しているがしてしまっているという意識を持ち、わからないことをわからないままにもできる力が必要だ。その時代を反映した言葉がその時代には溢れる。文章が苦手というのは、もしかするとその時代のその場所の言語感覚が合わないだけで時代が変われば嬉々として活字に触れている人かもしれない。今、わたしはこのもう一度触れ続けてみようと試みている。

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今日も台所から

最近、今日食べる料理と一緒に明日の分も作り置きするという技術を覚えた。昨日は味噌芋煮を4人前くらい作ったので今日も食べたし、なんならまだ少しだけ残っている。タッパーに入れて冷蔵庫に保管しておく。なんかチーズとか入れたり、ご飯と混ぜて食べたりしたい。アレンジアレンジ。編曲、リミックス作業、描いた絵をスキャンしてフォトショップで編集するようなことかな。 水を飲む。喉を通って胃に入っていく。前よりもそのことを感じている。 今日は少し疲れていたのか、早起きはしたものの、その後少し昼寝をしたりと横になっている時間が長い日だった。散歩したり絵を描いたりした。絵を描く時間が前より明らかに短くなっている。もう少し、そのことについても考えたい。長くした方がいいのか、これくらいで良いのか。むしろもう短くしきるべきか。前はとにかく意味もなくひたすら描いてた。今は何か世の中の中に、意味が無ければやってはいけないみたいな感じがダサいみたいな考え方があるっぽいのだが、私の場合は如何に。どちらかというと意味を求める人なのかもしれないと思う。 日付の絵に関しては、漢字でいう草書の描き方と楷書の描き方にわけたいと思っている。サラッとした良さとごてごてした良さがあるはず。間のある力の抜けた魅力と、ごてごてした厳しさや、ビシっと(擬音語)した魅力。水彩と油彩のちがいのような。 話が往復したり重複したりするのだが、自炊の際は写真をたくさん撮ることにしてみる。何の変哲も無いキッチンの玉ねぎの写真やテキスト、四コマやなんかを織り交ぜた本が作れたらいいなと。こんなの作ってみたよという。なんだよ対してインスタとかツイッターとか、そういうのと変わらないんじゃ。。というような内容を紙に印刷して編集するという作業を通してどういう風になっていくのか。ま、とにかく、絵と並行してゆっくりやっていくことですな。なんとなく、忙しくしなければならないという考えを止める。別にじっとしていたり寝ているだけの日があったって良いじゃない。 今日は散文の気分の日だ。言葉遊びをしたくなる。はっぴいえんどを聴いた。無性にアコギが弾きたくなり、少し弾いた。無性にアコギが弾きたくなる音楽というのがある。無性に散歩がしたくなる音楽もあれば、横になりたくなる音楽、踊りたくなる音楽、泣いちゃう音楽?  あと、男の人の方がギター好き率が高い気がする...

慣暑

もう慣れたし大したことないと思いながら外に出て、こんなもんかと思ったのもつかの間、歩けば歩くほど暑すぎる。涼しい歩き方とかないのだろうか。考えてみたが身体が温まる歩き方、体操などはあるが、身体を冷やす体操は無さそうだ。冷やすことに関しては水か氷か科学の力に頼るしか無いのか。冷えピタまでいかない、涼ピタを発明したら売れそうだと思う。16℃くらいの温度が続くシールみたいなものだ。私は首の後ろに貼りたい。お腹に貼るのは腹痛を起こしそうだからやめた方が良い。どうしても貼るというのなら止めはしませんが。発明というのはこういう、そんなこと考えてどうするのよと一蹴される空想からはじまることと、偶然なにかが起きてそれを発明と呼ぶことがあると思う。後者に関してはその人が発明したというよりは発見をしたのである。 電車に乗った。涼しい。電車が暑かったらこの国は地獄だと思う。駅のホームでサンドイッチを食べた。このサンドイッチというのも発明である。それもたかだかパンとパンの間に具を挟むというなんとも素朴なアイディアなのだが、これが美味しい。片手で食べれるという時代を超えた普遍的なインスタントさもある。紙とペンがあれば絵を描けるようにパンと具があればサンドイッチができる。私の好きなインスタントさだ。この敷居の低さは易々と跨ぐことができるがそこには無限の奥深さがある。こういう、シンプルな発明の方が、核反応とか、新しい金融システムとか頭の良い人にしかわからない発明よりも好きだと思う。わかる、から好きなのか。わかる、というか、関われると信じることができること。本当に、ボールから手を離すと下に落ちるくらいのことを見つけていきたい。目の前のものを写生することにその効果を見ることがある。適当に、ズボンだ、とか思っていたものの縫い目が目に入ってくる瞬間は絵を描いたりしないと私の場合は中々生まれてこない。勉強?も兼ねて写生するのは趣味でやりたい。物の構造、葉っぱの形。透けている色と透けない色。