もう慣れたし大したことないと思いながら外に出て、こんなもんかと思ったのもつかの間、歩けば歩くほど暑すぎる。涼しい歩き方とかないのだろうか。考えてみたが身体が温まる歩き方、体操などはあるが、身体を冷やす体操は無さそうだ。冷やすことに関しては水か氷か科学の力に頼るしか無いのか。冷えピタまでいかない、涼ピタを発明したら売れそうだと思う。16℃くらいの温度が続くシールみたいなものだ。私は首の後ろに貼りたい。お腹に貼るのは腹痛を起こしそうだからやめた方が良い。どうしても貼るというのなら止めはしませんが。発明というのはこういう、そんなこと考えてどうするのよと一蹴される空想からはじまることと、偶然なにかが起きてそれを発明と呼ぶことがあると思う。後者に関してはその人が発明したというよりは発見をしたのである。
電車に乗った。涼しい。電車が暑かったらこの国は地獄だと思う。駅のホームでサンドイッチを食べた。このサンドイッチというのも発明である。それもたかだかパンとパンの間に具を挟むというなんとも素朴なアイディアなのだが、これが美味しい。片手で食べれるという時代を超えた普遍的なインスタントさもある。紙とペンがあれば絵を描けるようにパンと具があればサンドイッチができる。私の好きなインスタントさだ。この敷居の低さは易々と跨ぐことができるがそこには無限の奥深さがある。こういう、シンプルな発明の方が、核反応とか、新しい金融システムとか頭の良い人にしかわからない発明よりも好きだと思う。わかる、から好きなのか。わかる、というか、関われると信じることができること。本当に、ボールから手を離すと下に落ちるくらいのことを見つけていきたい。目の前のものを写生することにその効果を見ることがある。適当に、ズボンだ、とか思っていたものの縫い目が目に入ってくる瞬間は絵を描いたりしないと私の場合は中々生まれてこない。勉強?も兼ねて写生するのは趣味でやりたい。物の構造、葉っぱの形。透けている色と透けない色。
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