ちゃんと格好つける人と自分を下げる人といて、何か大変だと、ここで頑張らねばダメだよと、はぁぁ、きちぃぃという言葉が同時に聞こえてくるような世界に沢山の人がいる。そしてそれは一人の同じ人間の中にあったりするが、バランスは人それぞれ全く違う。相反する要素を待ち合わせたまま浮いたり沈んだりして暮らしている。
この所、ロジックモードみたいなものに入っていたけれどまた変わってきた。? というか、状況によって変えるべきだという気持ちが増してきた。伝達を目的とするのか、散文を書いてすっきりするのか、色んな言葉の形があって、優劣は無いと言いたかったがそれもまた状況によるのだ。私の場合はむしろ優劣はあると考えた方が良いのかもしれない。例えばこれが論文だと考えるのであれば明らかに劣っているのだし、ただ心の声みたいなものを生のまま書いていると考えるのであれば優れている。アール・ブリュット的な文。色気や計算を排した異形のなにか。思いついたものをぺたぺたと貼っていくコラージュでできる抽象的な形。ぽけっと書かないとすぐに格好つけて、意味が通るように、とか、やりはじめるので、ぽけっとする。やるならちゃんとやった方が良いし、、やれてないし、やらないので、いや、やるのも良いのかもしれないが、それは紙に印刷して何か本にするとか、そういう時がいいな。これで意味が通るだろうか?これで良いのか?誤字脱字は無いか?すごく自分自身に問いをかけるだろう。そういう意味では、こういうブログというのはそれ未満というか、そんなん、出版したり、これを絶対見てくれ!みたいなものじゃないでしょという所にある力に振った方が私は良いと今思った。同じデジタル上の文でもネット記事とかだとまた違うのだと思う。
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