スヌーズを5回ほど押して起床。電車の中で読む本を机の上から探す。イギリス諷刺文学の系譜という本にした。上着を着てリュックを背負う。上着のポケットの内側が破れている。携帯や財布を勢いよく突っ込みすぎなのかもしれない。もう少し丁寧に入れていく。歩く。駅。電車。本を読んだ。珍しく音楽を聴いていない。カナル型ワイヤレスイヤホンのイヤーピースがどこかへ行ってしまったのだ。おそらく、別の上着のポケットに入っているのだろう。
本にはやたらと私の知らない名前がでてきた。特に、紙面の至る所に登場するメニッポスという言葉には面食らったが、この、読者が色々知っている前提で突き進んでいくタイプの本は好きだ。多少わかりにくくても深みや厚みを感じる。知らない言葉を見るのが好きというのかもあるのかもしれないが。だからか、知らない街の看板がズラッと並んでいる所とか好きだ。写真を撮ってしまう。それは、目の話なのだけれど、耳の話としては、空港で色んな言語で色んな案内が四方八方から飛んでくる感じとか、聴こえてくる音が何重ものレイヤーとして重なっていることが好きなのだと思う。色んな音や声が混ざっている所を通り過ぎていくと、また新しい音が聴こえはじめる。そういう所は大抵、目にも眩しく、チカチカしていたり、ピカピカしていたり、ごちゃごちゃしていたりする。雑多さの中には色んな物も人も馴染みやすい。ベトナムの街のバイクの渋滞の、バイクの車種や乗っている人は違うのだが誰も何者でもなくなっているような感じは、波になることや人ごみというものになるイメージだろうか。色んな人がいすぎると不思議な匿名性が生まれる。そこに埋没するのも結構好きだ。
と、本と全く関係ない感想文。メニッポスとか知らない言葉に詰まって大して読めなかったのだ。
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