なんとなく語呂が良い日だと気づき、何かできることはないかと考え、日記をまた書くことにした。これからは日記のタイトルは年月日にして、どこに行った誰と会ったということは書かずに極々個人的なことか遠いことを書いていく。なにって、ここに行ってああしたこうしたということよりビートルズの話の方が書きやすいと思うんだ。そこには書く対象や物事との距離がある。
普通の人なのか、人より猫の方が、猫より虫の方が、虫より花のほうが自分との距離を感じる。2024年より1964年の方が。 作るということも、その時代を意識し始めるとどうも時事ネタになってしまい、ゴシップっぽくなったり、冷静に見れなかったりする。そしてそれは本意でない。自分の本意を理解することは難しいが本意でないことを理解するのはわかりやすい。だからか、頭の中の独り言も、こうしてみよう、ああしてみようというよりも、そういうのはやめようといった、なにか、制するという感じなのだ。戸締りを気遣う人なら、あぁ、家の鍵閉めたわぁとは思わないが、家の鍵閉めてないかも... と、思うことはあるように。何かを考えるということ自体が暗い方向や不安な方向に進みやすい性質があると思う。
だから、考えんのヤメタでなく、更に考えたい。
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