朝起きたての時と、夜眠る前で違う考え方になっているのは、起きた瞬間に忘れるが眠っていた時に見ていた夢があって、それを無意識に引きずっているんだろうか。そのまましばらく起きて生活をして、現実を吸収して、眠る間に夢を吸収する。起きた直後はドリーミーでスピリチュアルな感覚で、眠る直前はリアルで俗な感覚だろうか。夢を見る人見ない人がいるが、一人の中に複数の世界があることは良いことだと思う。活発な世界(時間)、思索に耽る世界(時間)、ボーッとする世界(時間)、ここでいう世界というのは時間のことか。複数の世界があるとは色んな時間を持つということだ。そして、それら複数の世界が一つの世界に混ざることを現代人は夢想(サンドイッチを食べながら仕事をする)したりするわけだが、私はなるだけ分けていきたい。そうしないと私のようなズボラはすぐにだらしなくなってしまう。かと思えばなんだか几帳面な所もあるのだが、この、ズボラさと几帳面さを人間は何処かで併せ持っているはず、しかしこのボタンを掛け違えると、肝心なところが適当で変なことに細かい謎の思考になってしまう。この謎の向こうにも何かがある気持ちもするのだが、一旦置いておく。
この、謎の迷宮をウロウロし続ける私が意識すべきは、やり過ぎず楽しくウロウロするのは肥やしになるから良しとすること。逆にあまりにやり過ぎや、なにか嫌な気分がする時は避けるということだ。ウロウロしていいこととしないことも分けて考えるようにする。何年でも考え続けたり、ああでもないこうでもないとしていることが魅力になっていくようなものと、パッと判断して決めた方がいいこと。もう少し、パッと決めることをがんばる
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