去年の10月にはじまったローカル通貨の〇〇payというのが、今月で失効になるらしい。何かトラブルがあったのだろうか。現代の通貨という感覚は慣れ親しんでいるにも関わらず非常にわかりにくくて、今の自分には良くわからない。徐々に勉強していく。ビョンチョル•ハンという人が書いた透明社会という本があり、そこには「貨幣は、事物の通訳不可能性を、特異性を全て撤去する」という記述があるらしく(つまり私は読んでいない)この本を読んでみたい。ビョンチョル•ハンは韓国生まれのドイツ在住の哲学者でその本が元々韓国語で書かれたのか、ドイツ語で書かれたのか、英語で書かれたのかわからないのだが、日本語に翻訳されているので、その言葉のニュアンスがそもそもの言葉という事物を正確に通訳しているのかはわからないのだが、翻訳する人はそういうことを強く意識しているのだろう。直訳、意訳、執筆者と読者をつなぐ人の努力がなければ今の私の考えもないということになる。
なぜ、Artは芸術という日本語で訳されるのだろうか。そして何故、アルファベットという26文字でものの名前から出来事、とにかくなにから何まで表そうとする人たちと、私のように漢字を使わなければ表せない人がいるのだろうか。これが私の幼少期からの疑問である。これは中国語を母語とする人にも言える。母語であるにも関わらず、読めない漢字や書けない漢字があるのである。漢字の総数は、約50,000とも60,000とも、八万五千とも言われているのである。やや自分びいきになるが、私は宇宙人から見れば日本語や中国語よりも英語の方が絶対に簡単だという風に思っていた。理由は単純、漢字が無いからである。
しかし最近、YouTubeで英語の方が難しいという説を聞き、それもあるなと思った。内容としては、漢字は一つの文字で意味を持つが、アルファベットは一つの文字で意味を持ちづらいというものだ。漢字では、鮫、鯨、鮭と書くのに対して英語では、Shark,Whale,Salmonと、魚編という漢字ルールはすっ飛ばして26文字の組み合わせとして表現されるのでその単語を知らなければ意味を推測することが難しいのである。そのことが実は絵の描き方にも強い影響を与えているのではないかと感じる。
コメント
コメントを投稿