左右非対称の道具というのは、基本的に右利き向きにできている。左利き用の製品の場合のみ、左利き用等と記載される。左利き用グローブとか。右利きの私にはこうして書くなどして意識しないと左利きの人の感じ方がわからないが、左利きの人には右利きの社会がもっと見えているのではないか。その構造の中にいると構造が見えにくいが外に出ると俯瞰して見えるように。
と、いうこと等を考えながら歩き、駅に着いた。お腹が空いていることに気づき、駅構内の立ち食い蕎麦屋で豚肉と白菜の蕎麦を食べた。箸を左手で持とうか一瞬迷ったが、右手に持った。柚子胡椒が効いていて美味しい。五感の中で視聴覚に対して味覚、嗅覚、触覚は言及されることが少ないように思う。見たもの、聴いたものを説明するよりも、味の説明の方が難しいような。そのうち、味わい香る、触れる映画もでてくるのだろうか。受動の極致としての鑑賞。
立ち食い蕎麦屋は好きだ。今日は祝日だからか異様に繁盛していて麺をすする音が合唱していた。自分とここにいる人たちがなにか江戸時代の運命共同体のような気がしてくる。本当にその時そう思ったのかというと、自信はないのだが。自分の中に、知識として大して知らないまま理想化されたイメージとしての江戸時代があることに気づく。ここではないどこかを考えることが好きなのだろう。
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