毎年このくらいの季節になると、寒いという感覚があったことを思いだす。上着を着るかどうかで迷うことはついこないだまでなかった。
雨の中を傘さして走った。大人になると走ることがあまりなく、久々に息切れをした。でもなにか、頭がスッキリするような感じもある。
意識せずにはいられないこと、昨日今日と恐ろしいニュースが続いている。今、朝の9時過ぎで、なに書くか迷っているところ。
改行の間に22時に。働いた。絵でできることできないこと、生活でできることできないこと、考えていくことはなにか、絵じゃこういうことできないな、あれも無理だなと、なんか夢のない考えになってしまうのだけれど、その可能性を広く感じすぎた反動もまた無力感や苛々だったので、今のとこ、ちゃんとわけておこうと思う。そのうち、できないと思っていたこともできるようになりたい。
文章っていうのはなにか深刻そうな見た目をしている。CDの時代の歌詞カードの見た目と、曲の印象はしばしばかけ離れていた。街角に貼られる長文の怪文書に、鬼気迫る雰囲気を感じてたじろいだりするが、案外書いている方は、ホッホホイみたいな感じのこともあったりするのだろうと、webサイトの時代から怪ブログのようなものを続けて思う。この、怪しい感じは好きだな。外を向いたもので、意味がわかるものでなければならないということでこぼれ落ちるものがあると思う。それは伝達の為には仕方ないが、万事その調子でいるとなにか段々と歯切れが悪くなり悶々としてしまう。しかしその悶々の中からしか掴めないこともあり、それをわかりたく日記で悶々を削っていく感じだ。具体的には、実はこういうことがやりたかった、とか、そういうことがわかったりする。
今日は音楽はずっとSpotifyでブルースを聴いていた。というのも、またギターやって、友人とセッションするのね。ブルースのコード進行で合わせられたら良いんじゃないかということになった。セッションの、バンドではないが個人でもないという集団感が今気になる。誰かが来なくてもできる。誰かが来てもできる。そういう柔軟さを含んだものをやりたい。これならできそう、という敷居をちょこちょこ越えていき、それが絵になったり自分の思い出になったり世の中のなにかになったりすれば良いと思う。私は大作主義でないのだろう。小品を多めに、バレエもオペラも作れず、4コマや小さな筆跡を集めて作品と呼ばれる物体を作り、それを言葉にしたり、写真を撮ったりしてまた色々と考え、そんな小さなことを膨大に繰り返していきたい。大きな賭けにでず、しかし冒険を続けていく。
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