もやしと玉ねぎの味噌汁を温めながら書く。なんとなく弱火で。IHヒーターの目盛りが160℃を指す。もしかすると中火と呼ぶのかもしれないが。
味噌汁とサバの塩焼き、お米を食べたらちゃんと洗い物しよう。洗い物、掃除、なにはともあれやった方がいいことか。洗い物はよほど疲れてたりしないとあれだけど、掃除はいつも難しい。心のどこかに完璧主義なキャラクターが潜んでいて、それがでてくるからかもしれない。自分のできたことが58点、とか、そういうことを認めていくことだ。30点も0点も一緒というクオリティにこだわるオールオアナッシングの過激派であるこのキャラクターが無気力を呼び込む。赤点と、そもそもやらないというのは違うが、ただ、赤点は力不足に対して、そもそもやらないのは、やればできたのだという想像の余地があり、それがその通りなのか間違いなのか本人にもわからない所があるので、そこに頼りたくなる気持ちは人の中にある。
iPhoneを置きご飯を食べた。しばらく粗食をしてみよう。もっと刺激じゃなくて、薄味になにか感じられるようにね。群青色を青色とざっくり言い切るこの感覚から、進歩できたらいいな。ただ、刺激に強くなるというのも一つの進歩ではあるんだ。人ごみで眩暈もしなければ、まあ細かいことは気にするなという風に心を処することができるようになっていること。良く言えばタフになり、悪くすれば麻痺。麻痺したり細かくいたり、行きつ戻りつすることをこなしていきたい。さっさとやればいいことと、もう何年でも考えていていいことと。仮にでも答えをだした方がいいことと、答えのでなさを味わうくらいのもの。せっかちさとじっくりさが同時に問われ続けている感触が生活の中にある。まだまだ、へた。
絵が中々描けないでいる。近道を見つけられないくせに見つけようとしたりする要領の悪さから言葉が生まれている。しかし、もし自分の中に非効率さがなければ書き得ない日記だとも思うので、こつを得ないこのあり方が嫌だが、良い部分もある。もう途方もない道を歩いていくしかないと心を決めると、少し楽になってきた。しばらく、文章を書かないうちに、頭に言葉が埋まっていたようで、するする書いていけることに不思議な感覚を覚えている。また明日もこれからも書こう。
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