情けなくとも前に進んでこう。絵は小さいのばっかり作る、持ち運びやすいように。ポータブルかつ個人的にできることというのは今のところ自分にとってポイントだ。諦めようもなくなるしね。
じいっと味噌汁を茹でる手鍋を見ていたら、こういうのを描くのも良いかなと思ってきた。静物画というのだろうか。キッチンの絵や部屋の一部。踊りと絡めた絵と結びついてるか怪しいが、拡大解釈。すり減った靴の絵もいいね。贅沢な話、昔は絵を描くということがそんなに好きでなく、そういう授業があっても鉛筆を転がしたり、練り消しで小さな人間を作っていたりしてしまっていたのだが、おそらく、じっくり何かに取り組むということが苦手だったのだろう。派手に反射したかったのだ。今だにこうして出来上がっていく文章にもその雰囲気が滲み出ている。最後はこう締めるとか、途中でこういう文章を挟むとか、そんなことは考える余地もなく、思いつくまま積み上げた積み木の城のような言葉の塊ができる。頼まれたものなので、しっかり書かなきゃいけないとかだと、また違うとも思うのだけれど。ただ、これもしっかり書いていないというわけではない。「ノリ」も許可するという文たち。
こうも世相が暗くなると、私にとって当たり前と思っていたものがどういうもので、それが恵まれていることだと気づく。何かを見て、それをゆっくり描くことができるというのは、小さいことに感じるが、誰でもそれができる状況なわけでなく、感謝しなければいけないことなのだと思う。小さいながらも、力強くありたいな。年甲斐も何もなく目標を持っていないと。武器に兵器に使われる鉄で見たことない楽器を作って欲しいぜ
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