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7月, 2023の投稿を表示しています
近ごろ電車ではずっと、YouTubeで荻原さんというドイツで観光業をやっている人のガイド映像を見ている。田舎の木組の家並みがぐっとくるんだな。街全体で絵を描いているような感じがする。窓から花を垂らしたりするの、住んでる人にはあんまり関係ないのだけれど、外からこの家がどう見えるかということを気にする。屋根の色は統一されてたり、お店の看板も主張し過ぎることなく街並みに溶け込んでいる。結構、素の自分はメルヘンなところあるのなと思った。荘厳なドイツもあると思うけど、ポップ・ドイツなの好きだ。お菓子のパッケージやなんかも可愛い。 ドイツ語圏に位置するのはドイツだけではないということで、画面の向こうにはオーストリアやスイスの映像も広がっていた。

想像の話

かなり前に手塚治虫の伝記を読んだ。手塚治虫は子どものころ、遠足の話をするといつの間にか遠足の話に想像が付け加えられ、面白いフィクションになっていたという。おそらく手塚治虫にとっては遠足であった事実ということより、そこで体験した事実や得た感情を基に新しく話を構成することやその話で人を驚かせたり楽しませたりすることのほうが重要だったのだろう。

まほう

言葉にすると魔法が溶けてしまいそうなことがたまにあって、そういうことはもう言葉にしたりしないようにする。その魔法を溶こうとして理由に溺れて頭の中で意味が渋滞していた。 太陽と月のタトゥーを入れたいと話していて、そういうところあるなと思った。常に反対と感じるものを含めて、土と空とか、天使と悪魔とか、ヤシの木と雪。もやもやと浮かんだのは、そういう二重性は世界や、自分のことを含んでくれる感じがするということだ。太陽にも月にもなれないが、太陽と月であればその中に自分もいられる。地面と空の間に人間や動物や建物があって、そこで生活している。いいやつでやなやつ。 なんて、何か書いているようで対義語か「それ」と「それでないもの」を並べて書いているだけなので実際には何も書いていないのかも。考えがループするということをループさせてバリエーションができているだけなところがあるね。八方(美)人なのかな。 今、自由意志が気になっているので、落ち着いたらそのことについて勉強したいな。落ち着くっていうのはなんのことなんだろな。

7月

7月の最初の日は雨。 なんかしんみりする。眠たい。指の火傷の潰れた水ぶくれの皮を剥いた。中には薄いピンク色の皮膚の指。玉ねぎの気持ちになった。昨日4コマ描いたけど、思ったより上手くいかなかった。練習不足ね。それでも作品と呼ぼう。 極々たまに、日記を読んでくれているという人に会って、嬉しい。こういう日記というものの良い部分はなんだろう。この日記の場合は、淡々と、極々個人的で、何かをどうしても伝えたいとかでもなく、その時考えたことを綴っている所にあるのかもしれない。そういうものは世の中には見えないので、ビジネスメールや、今書店で売れている本、電車の広告やなんかで見ることがない文になる。そんな感じなのかな。ありがとうございます。 今日は色んな会話が聴こえてきた。面白い会話が多かった。いつも思うのは、会話をしている人たち同士が異種交流みたいなことはあまりなく、これについてどう思うか、とか、そういうことはある程度共通しているのである。結婚ねぇ、だよねぇ、いや、私は結婚しないって決めてるんだよねみたいな会話は聴こえてこない。 そういう辺り、私は異種交流的に考えていることが多いかもしれない。全ての人は他人であるが、なんか自分っぽさを感じたりもする。 久しぶりに音楽のライブを見に渋谷に来た。なんかニューヨークみたい。ニューヨーク行ったことないけど。素朴すぎる意見だけど、普通にすごいよね、渋谷