ギターのディストーションの音というのは元々アンプを作った人やエレキギターを作った人は想定していなかった音だという。本来の音の出し方からは間違っていると。でもその音に魅力を感じる人や心動かされる人が確かにいて、今も何処かで誰かが、そして私もまた新しい間違いを発明している。これには正しさの信奉者でないことが必要になるだろう。しかし、正解をベースにした世界との二重生活を送らねばならない。前者に寄りすぎれば破綻者になり、後者によりすぎればつまらなく、何も生み出せなくなる。 絵筆を握る時は破綻者となり、外に出ればマトモの役者としている、とか、色々と発想は生まれる。
仕事に向かう途中、路上の排水溝の中に生えている植物を見つけた。よく見ると、そこら中に生えている。なんだか、その外の植物に比べて大変そうとも思ったが、良く考えると、水という水がここに流れ込んでくるので、水分を吸収するという観点から考えるとむしろ理にかなった場所にいる。そのまま歩いていると排水溝からはみ出している植物にも出会った。排水溝の中の植物、なんて、今まで気に留めたことはなかったのだけれど、これからはちょっと意識することになりそう。知ると存在しはじめることがよくある。髪を赤く染めると赤い髪の人が見えるようになるのだろう。
歩きながら、時々立ち止まり、思いついたことをメモする。それらはこれから生まれる絵画の種になるだろう。絵画、というものが本当にやりたいのかどうかは未だにわからないが、今の自分から考えて具体的な形として落とし込みやすいものが、思いつくのがそれしかないという所がある。はじまるものなんて何でもそういうものだった。たまに何か啓示を受けてはじまった人もいるけれども、私はそういう人ではないみたいだ。それで、絵がたまったら展示ができるね。これもやっていないよりやっていた方が楽しいし、社会的には、その期間だけでも面白スポットの一つを作ってみたい。絵が売れたりしたらもっと楽しい。自分はお金の風通しも良くしていかなければ。良く売って、良く払うといった、それはまあ大金とかではないかもしれないけれど、プチ景気を身近なところで作れたら良いな。移動・流動、流れる水、飛んでいく鳥。
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