しっかり真面目に考えないと何かしちゃいけないというわけではない、絵を描くとか、なんかギターを適当に弾くとか、そういうことは積極的にやっていきたい。それらは他人の人生に深刻な影響を及ぼしたりはしないので。ただ絵ができたり、音が鳴ったりする。適当適当。適当ブーム。頑張りつつ適当みたいな感じが良いかな。何かこう、制作しているものがある時に、それをどう自分以外の人に説明するか。唐突だがここにはかなり、日本の現代文明の問題点が隠れているような気がする。
基本的に、良いところ、他のものとどう違うのか、それを介したこれからのビジョン、そういうことを説明するはずである。ビミョーです、自信がありません、あの人が作ったものの方が良いです、先のことは特に考えてませんみたいなことを言ってしまう人は社会人不適合人の烙印を押されかねない。
すると、社会に合わせる為に良い所を無理くりひねりだしたり、ものすごいデカいことを言う必要がでてくる。私もあり得ないくらいデカいことを言うことがあるが、それはボケというか、ピエロなので、、
すると、ハードルが上がる。徐々にそのハードルを超えるのが難しくなり、破綻したりしてしまう。この、ハードルというものに急に興味がでてきた。
外国(ざっくり過ぎだけどあえて)に行った時にいつも思ったのは、適当さである。バスが遅れたり来なかったり、エレベーターの止まる場所がずれたり、そういう部分、日本はかなり律儀というか、ある意味では発達している。きちんとやる。
こう書くと優れていることのようだし、実際そうなのかもしれないが、バスの運転手さんをやることのハードルは他国より高くなるはずである。エレベーターを作ることも。このハードルが高すぎてついていけないという人がどんどん増えているのではないか。
絵描く人としては、ハードル下げ担当のような感じでいたい。これぐらいなら自分にもできるというようなものをどんどん描きたい。もったいぶらない。盛らない。でも魅力的なものにしたい。し、していく。
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