最近、今日食べる料理と一緒に明日の分も作り置きするという技術を覚えた。昨日は味噌芋煮を4人前くらい作ったので今日も食べたし、なんならまだ少しだけ残っている。タッパーに入れて冷蔵庫に保管しておく。なんかチーズとか入れたり、ご飯と混ぜて食べたりしたい。アレンジアレンジ。編曲、リミックス作業、描いた絵をスキャンしてフォトショップで編集するようなことかな。
水を飲む。喉を通って胃に入っていく。前よりもそのことを感じている。
今日は少し疲れていたのか、早起きはしたものの、その後少し昼寝をしたりと横になっている時間が長い日だった。散歩したり絵を描いたりした。絵を描く時間が前より明らかに短くなっている。もう少し、そのことについても考えたい。長くした方がいいのか、これくらいで良いのか。むしろもう短くしきるべきか。前はとにかく意味もなくひたすら描いてた。今は何か世の中の中に、意味が無ければやってはいけないみたいな感じがダサいみたいな考え方があるっぽいのだが、私の場合は如何に。どちらかというと意味を求める人なのかもしれないと思う。
日付の絵に関しては、漢字でいう草書の描き方と楷書の描き方にわけたいと思っている。サラッとした良さとごてごてした良さがあるはず。間のある力の抜けた魅力と、ごてごてした厳しさや、ビシっと(擬音語)した魅力。水彩と油彩のちがいのような。
話が往復したり重複したりするのだが、自炊の際は写真をたくさん撮ることにしてみる。何の変哲も無いキッチンの玉ねぎの写真やテキスト、四コマやなんかを織り交ぜた本が作れたらいいなと。こんなの作ってみたよという。なんだよ対してインスタとかツイッターとか、そういうのと変わらないんじゃ。。というような内容を紙に印刷して編集するという作業を通してどういう風になっていくのか。ま、とにかく、絵と並行してゆっくりやっていくことですな。なんとなく、忙しくしなければならないという考えを止める。別にじっとしていたり寝ているだけの日があったって良いじゃない。
今日は散文の気分の日だ。言葉遊びをしたくなる。はっぴいえんどを聴いた。無性にアコギが弾きたくなり、少し弾いた。無性にアコギが弾きたくなる音楽というのがある。無性に散歩がしたくなる音楽もあれば、横になりたくなる音楽、踊りたくなる音楽、泣いちゃう音楽?
あと、男の人の方がギター好き率が高い気がする。自分もそうなんだけど。なんか、車とか、バイクの仲間というような感じもする。今だとターンテーブルとかもそうなのだろうか。私は、ギターは好きだが、あくまでちょっと弾くことに興味があって、メーカーや細かいシェイプにはあんまり関心が無い方だと思う。 「興味がある」ということには色んな角度があるのだろう。私は絵に興味があるわけだけれど、、そこのどういう角度なのかももう少し深度をもって考える。絵を見ることには興味があるけど描くことには興味が無い人というのもいるのかもしれないし、色、カラーという部分に興味がある人や、調和に対して、もしくは調和とは逆のカオスに対して、、それがどういう興味なのかによって発想やそれに対する向き合い方が全然別のものになってくる。
ここで、興味がある/ない の2択の他に、興味がありたい/なくなりたい という違うレイヤーの 2択もあるのではないかという考えが浮かぶ。メタ興味といったところだろうか。おぉ、これは面白そうだといったことに興味がありたいし、1人酒を飲んで暗くなってしまうということには興味がなくなりたい。もう少し、自分自身の興味をコントロールすることが必要だと感じる。今まではひたすら野生の興味であった。その感じと、もう少し人工的な感じが混ざった状態でいたい。この時はこういうことを考えない、この時に考えるとか、そういうことを決める。もう朝の2時半だ。眠らねば。昼寝の弊害はこういうところにある。
コメント
コメントを投稿