気が散りやすい欠点を活かした作り方や暮らしをした方がいいという風に思った。pink floydのwish you are hereを聴いている。音楽が好きなのは、ところどころで気が散っていくことを受け止めてくれるからかもしれない。お、こういう音がでてきた、とか、その音が引っ込んだ、とか、想像の外側にあるメロディーが不意に現れたり、元のメロディーに戻っていったり。気になっている不朽の名曲がまだまだ人が生み出した歴史の中にあるのは楽しみなことと感じる。と、これからも生まれていくんだろう。
気が散りやすいというのは、ダメなことというか、直すべきことという感じがあったが、こと何か作ることについては案外使えたりする感覚でもある。
何となくここにこれを描いてみようとか、前描いたあの絵を切ってここに貼ろうとか、ある意味では集中できていないのであるが、発明にも結びつきやすい。新しい料理が発明される瞬間を想像してみよう。それは、意識して生むことが多いと思うが、偶々生まれるということもあるだろう。ポテトチップも偶々生まれたという。何か、あれがないからこれを入れてみようとか、こうしようと思ったけどなんとなく気分が乗らないから違うやり方でやってみようとか、そういう偶然が失敗作を生む時もあるが、まさかまさかの良い効果を生む時もあるはずだ。
pink floydのcomfortable numbを聴いている。ベタに、ギターソロというものが好きだと思う。この、ギターソロ中にも他のパートの楽器も演奏は続いているわけだが、何故ギターソロだと思うのかが昔から気になる。一つのパートだけ異質な音を出しているからだろうか。しかし、何がどう異質なのかはいまいちわからないのである。
気が散るというのは、何か一つに対して思うことがあるとして、そこに対して異質なことを思うということなのかもしれない。赤色に対して緑色は気が散っているのかもしれないし、そう考えると、気が散るのを活かすことで何か新しいハーモニーを作るということもできる。
何か作る、作りたいモードでいると、他の日常的なことがキツくなってきたりするが、ここはうまく、二重感覚を楽しむというイメージでいよう。片一方だけあってもどの道調子が悪くなるのだから。車のタイヤの四輪を回すというイメージでいよう。
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