昨日は明日、つまり今日。早起きして絵を描く予定だったが、今朝の私は、まあそんなに焦ることもないとスヌーズを連打していた。結果朝食を作って食べて着替えれば家をでなければいけない時間に。今のところ、絵を描くとか制作するというのはまぁ削っても仕方ない時間みたいになっているのでなんとか、その時間の立ち位置を向上させていきたいな。
何も作らなかった日は、何かを作った感じにだけ触れようと思い、電車の中でユトリロの画集を見た。こちら新潮美術文庫のもので、このシリーズは結構気に入っている。画集ではあるのだが分厚かったりごつごつしたりしていないで手のひらより少し大きいくらいのサイズ、ハンドサイズと言うのだろうか。なので電車の中や待ち時間で読みやすい。たまに非常に大きいサイズの本があるけれど、あれはどういう状況で読むことを想定しているのだろうと考える時に、物の大きさに対する認識に意識が向かう。赤ん坊にとって大きな本は私にとって普通の本であり、体格の大きな人にとって小さいと感じる本は私にとってちょうどいいサイズの本ということはあるだろう。
一口に大きい絵、小さい絵といっても具体的にどのくらいのサイズから大きく、また小さいということになるのかはその人の観点がでる。
かなり前に見たバスキア展は、バスキアにとって小さいと考えていたであろう絵が、私にとって大きなものに見えた。自分にとってのA4サイズがバスキアにとってのA2サイズだったようなイメージである。
その時併設展でやっていた、ウィスト ポンニミットさんの小さな展示で私は不覚にも泣いてしまった。小さな絵の下に素朴な日本語とタイ語が書いてあった。気がする。「ここが好き、ここで君と会ったから」という言葉に心を打たれたのだ。その旨インスタグラムに載せると本人からありがとうと連絡があり興奮。
全然今日の日記の体を成してないな。昔に浸るような文章を書いても良いけれど、なんとなく「これから感」といったような、気持ちが溢れるような感じでいたい。
明日は早起きできるかな
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