また10時間くらい撃睡。消耗することを控えて少し休もう。iPhoneも、こういう時だけ見るとか決めようかな。昔より惰性で触っている。しかし、そもそも生活にまつわる全てのごとが歳を経るにつれて惰性になりがちなのかもしれないのである。大人になって隣の駅に電車で向かうことが新鮮でワクワクできる人がどれだけいるだろうか。ワクワクしたいのだが。子ども、お年寄りにはそういう人もいる感じがするが、青年であるということは難しい。
肉不足かもしれないと思い豚バラ肉を買ってきた。それらと玉ねぎ、もやし、じゃがいもを味噌ベースのお湯の中に入れて茹でているところである。味噌汁感が出過ぎないように味噌を少なめに入れてみた。何かの味が支配的になることなく、味噌と豚肉、野菜達がハモるような味になったら良いなと思っている。
何でか自炊の日記が多くなっている。おそらく、20代途中までほぼ自炊をしたことがない、自炊素人であるからだろう。結構、これを入れるとこうなったみたいなことが新鮮に感じられるのだ。新鮮に感じられることというのは、それがいやなもので無かったりする限りは基本的に面白い。しかし、慣れたことをやることも重要なのである。この、慣れたものとどう向き合うのかというのがこれからの自分の課題になるだろうな。というか、大人の課題である。慣れたものがつまらなくなって過激になっていくことは新鮮さを取り戻す一つの手段ではあるが、あまり行き過ぎると死んでしまう。地味に生きたい。斜に構えればたかだかご飯を食べたくらいなことをありがたいことや楽しいこと、そして何より新鮮なことにしていきたい。毎日何かを感じ直すことができれば良いなと思っている。
私も歳をとっていくが、同時に時代も歳とっていく。というか、時代、、というか世界史というか、そういったものは確実に人1人より高齢なのである。良い思い出も悪い思い出も私ひとりよりも、西暦から数えるなら地球の2023年間の方が圧倒的に多く持っているはずだ。それでもって、私も含めて今生きている人たちはその一番前のところにいて、何を学び、何を学ばないべきか、どうするべきで、どうすべきでないか等、歴史に巻き込まれているのである。メディアが発達し、物理的には世界がつながれるような雰囲気が生まれると、良い部分もあるが、悪い部分として、世間知らずで居づらくなるというのがあると思う。どれもこれも関係があるような、もしくは関係がないような、海の向こうにも画面の向こうにも思いを馳せなかった人は少ないはずである。つい最近まで、この最近というのがどういう時間感覚なのかも人によるのだが、結構普通のこととして認識されていたはずである。海の向こうは航海士や冒険家に任せ、画面は世の中にない。そう考えると、飛行機と液晶が発明されたことは人間にとってかなり大きいことだったのだろう。そういう風に、既にインフラや便利なものが出来上がった後に生まれた人として、そういう部分をハックしていく感覚が気になる。 私、携帯電話を作ったんです。みたいな人とか。なんかそれはそれで法律とか絡んできそうな気がするのだが。
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