積まれた本を見ると、方向性に幅がある。何か、これを買おうと思う時の選択基準が気になる。本の場合は、書かれている題材に今まで関心が無かったが、なんか今気になるということや、これは関心がある、こういうのが読みたかったのだということや、好きな作家の本だからとか、色々な考えが交錯していて、一言でこういうものですという基準を言い表わすことができない。そして、それで良いのだと思う。本を読むことで考えを強化したり、弱めさせられたり、知らないことを知ったり、知っていると思っていたことが知らないことになってしまったりする。
ズボンが頻繁に破れるので、新しいジーンズを買った。新しいといっても古着なのだが。洋服を買う基準は、まず自分が着れるかというのがある。ウエスト、長さ、長さはズボンの場合丈詰めできるので、これが良いと思えば丈を詰めれば良いのだが、丈がぴったりだと、何か自分はこのズボンに選ばれているのではないかと変な妄想が生まれる。今日買ったのはそんな妄想が生まれるジーンズだった。元々、私が履いていたのではないかと思うほどぴったりだ。私のドッペルゲンガーのような人がどこかにいるのではないかとすら思ってしまう。いや、半分冗談なのだが。
買うというのも、自分がどういうことをやっている人なのかでも行為の意味が変わるだろうな。私が本や洋服を買うことと、古本屋さんや古着屋さんが買うことには意識の違いもあるだろう。
自分も売ったり買ったりで暮らしているんだなと感じる。その辺をもっと考えて良くしていきたい。
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