にんにく鶏ガラスープを茹でている間にお風呂に入った。久々に湯船まで。シャワーを浴室の壁に当ててできる模様をじっと眺めていたことを思い出す。今日、10年ぶりくらいにやってみた。蜘蛛のような、太陽のような、動く模様が壁に現れる。シャワーを止めると、模様もなくなる。
蛇口をひねれば、水やお湯がでてくるホグワーツのような魔法社会の中で暮らしているが、私の杖から水やお湯がでるわけではない。インフラと道具がなければ私はかなり弱い生き物なのだと思う。人の弱さと足りなさができることを作った。そして強く満ち足りたのだが、それでも疑問が残ったのである。その疑問の中で時たま呻き声を上げる私はどこかでそういう疑問を見ないふりをしている。が、個々人には優先順位というものがあるのだ。昨日描くべきだった絵も描いていない。
お湯につかると身体があるということを感じた。人は水陸両用だが、どちらかといえば陸上の生き物だ。水の中では、陸上とは違う時間を感じることができる。水の中にいることで何かを閃くこともあるのは、陸上と水中で意識の状態が変わるからだろうか。そう考えるとシャワーだけでなく、湯船にも浸かった方が良いのではないかと思った。
スクワット50回×2してご飯を食べた。お風呂に入っている間に作っておいた鶏ガラスープ、肉野菜炒め、納豆卵かけご飯。鶏ガラスープに入れたのは豚肉、玉ねぎ、長葱のお尻の方の、緑色が濃い部分としめじ。しめじはいつもと違う生産者の所にしてみた。果たして同じしめじなのかと思うほどに背が高い。このしめじ達がバスケ選手なら全部スラムダンクしてるはずだ。
肉野菜炒めはこないだ試したように豚肉を最初にボウルに入れ、醤油、塩胡椒、味の素で味付けしてから肉を炒めてみた。やはり旨い。重複するが、肉の味が前にでてくるのだ。背の高いしめじも入れたが、これも美味しかった。野生味が強い味がした。地面から生えていたんだなぁという味というか。
もう少し土や動物を意識して生活した方が良いだろうか。アスファルトから生える野菜は無いはずだし。そして、野菜や動物がいるから生活ができている。あまり考えたことは無いが、虫もそうなのだろう。そんなバランスで地球があるというのは不思議なことだ。そして私はなぜだか生きている。いつか、生きていたになって、その時どんな風になっているのだろうか。
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