早起きをした日だった。腹筋40回を2セットした。昨日は腕立て伏せ30回を3セット。長生きすると決め、そうすると体力勝負になるのだが、現時点で既にふらふらである。昔の感覚から考えると、相当身体が弱っているのだと思った。何年か前の自分に戻ってきてもらって、アドバイスいただきたい。このくらい持ち上げられるさ。そりゃっ!
うりゃっ!
読みかけだったハーバート・リードの、芸術の意味読み終えた。訳は瀧口修造で、見覚えのある名前だと思ったら、20世紀のシュールレアリストの人であった。こういう、自分の作品も作れば、他人の作ったものを翻訳したりしてどんどん引き出しが増えていくような生活をした人に羨ましさを感じる。 これ、書いていて今気づいた。羨ましさを感じていたのか。こういうことがあるから文章を書くのが面白い。私にとって日記とは、出来事や思ったことを書いていくのでは実はなく、それらを観察して思ったことを発見していくような感じだ。そしてそれを編集する。ただ、編集がまだまだ下手だ。
話を戻さなければ。この、芸術の意味は、ビザンティン芸術についての概説とハーバート・リードの批評を絡めた小さい章の後にケルト芸術という小さい章があり、色彩の小さい章の後に形態の小さい章があり、ゴッホの後にゴーギャン、アンリ・ルソーという風にどんどん気が散っていくが章としてはまとまっているという、いまいち集中力が無いが知的好奇心を満たしたいという私のような人間にとっては絶好の読み物であった。こういう、一点をひたすら研究するのではなく、沢山の点を捕まえつつ、書いている本人の評が入っている本が好きだということに気づく。
沢山の点を捕まえるということだけでいうとWikipediaは素晴らしいのだが、その性質上、史実、事実に基づいていることを基本にして、そしてそれが基本であるからこそ、、個人的にはこの文明は、それはもう革命的ななんとかでみたいなことを書いてしまうとWikipedia的には、単純にクオリティが低いということになってしまう。そのことを理由にして、Wikipediaというのはとにかく客観的で匿名であることを正解にしている。
そして、それで良いのだと思う。しかし、こうもWikipedia歴が長い現代文明どっぷり人だと、味気なさも否めないのである。
本。本なのだ。私は本が好きなのだ。良く考えると住まいには沢山の本がある。人が何に対して何を考えてきたかが印刷されタイムカプセルのように世界中に散らばっている。それを空けると、自分の身体は動かないままで色んな土地や知恵に連れていってくれる。ついていけないことも往々にしてあるが、それも何年か後についていけるようになったりして、私の意識の一部に組み込まれている。
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