十二時間も寝てしまった。疲れていたのだろう。というか、前日に三時間くらいしか寝ていなかったから当然なのだが。当然でないならよほどのショートスリーパーか、 危ない。なんだかんだいっても身体を壊してないのは眠れなかった日があると反動で沢山寝てしまう日があるからだろうな。人が誰でも共通してすること、睡眠、呼吸、食事、あとはなんだろう。お金と、連絡手段というのも現代はほぼ必須のものになっているが。
遅れてしまった家賃を払った。こういう最低水準みたいな所が遅れてしまったりするのは恥ずかしいが、自分の行動とお金を結び付けられていないの仕方がない。いや、仕方がないのかどうかはわからないが、仕方がないということになる。
むむ、こういう状況になると、何かを受け取りたいという気持ちになりがちだが、むしろ与えていくことを意識していきたい。何も無くても与えられるもの。愛? 言葉? 時間。アイディア?イデオロギー? むむむ、なにか具体的な形が無ければ私は不安になってしまう人なのだろうか。悶々と頭の中で進むものは、進んでいるようでそこをぐるぐる回るだけで肝心の身体は動かなくなる。私は物欲や所有欲は薄いが、何か作りたいという欲は強く深い。無欲な私はこの暮らしの別のところでは欲まみれになっている。
特定の何かをしたいと思う時、いまいちそういう時代や環境ではなかったということはよくある。その欲はそのまま萎んでいくのだろうか。そうだとして、それは消えて無くなったのだろうか。それを違った形で取り戻そうとする時に欲求の移行がおこり、詩人がロックミュージシャンになったり、ロックミュージシャンがエンジニアになったり、エンジニアが詩人になったりするのではないか。そういう、以降をしてきた人たちのことが気になる。バレリーナや野球選手を目指した子どもが成長してそうでなかった時に、その考えは消えたのだろうか。私はそうは思わない。無意識的にでもどこかでその考えを以降して、良くも悪くも今に活かそうとしているはずだ。そしてそれは良いことになった方がいい。良いことにしていきたい。
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