お風呂に入っている間ににんにく鶏ガラ野菜スープを弱火で茹でておいた。弱火といってもIHなのだが。むむ?昨日と同じ気がする。夢じゃないデジャブが起きている。しかし!昨日と違うのは今回はじゃがいもが入っているということだ。じゃがいもは野菜界では味に影響を及ぼす力が強いことで知られている。ポテトサラダだって、他にも色々な野菜が入っていてもポテトサラダになるし、主演野菜賞を取りそうな勢いを持っている野菜が、じゃがいもである。
風呂から上がり、身体を拭き、動きやすい服装に着替え、ストレッチと腹筋をした。今年中に開脚180°とはいかなくても、160°くらいにするのは密かな目標でもある。あと、良い絵を描くのも目標だ。腹筋キツい。正面のやつ、捻るやつ、横向きに寝て横腹筋みたいなのをやってみた。頭に浮かんだのは、アザラシである。
そして食べよう鶏ガラ野菜じゃがいもスープ。その前に肉野菜炒めを炒める。肉をボウルに入れ、味付けを、、、これも昨日と同じ気がする。夢じゃないデジャブが起きている。しかし!今回は味付けに醤油を使わないでみたのだ。代わりに使ったのは鶏ガラスープの素。自炊をする際に、醤油に頼りすぎなのではという考えが浮かんだのだ。逆に鶏ガラに頼りすぎる結果にはなってしまったが。
そして主食は納豆卵かけご飯である。むむ?これも昨日と同じ気がする。夢じゃないデジャブが起きている。
自炊する際の主食はなるべくお米にしようと思った。主食として思い浮かぶもの、お米、パン、パスタ、うどん、色々あるが、体感的に一番エネルギーになっているのがお米な気がする。体質もあるのだろうか。パンはおいしいパン屋さんで食べると、お腹が膨れる。このくらいの小さなパンなら、私は4つ食べれるさという考えは裏切られ、1つを袋に入れて持ち歩いている時はないだろうか。まぁ後から食べられるから全然良いのだが。あの、小さなパンに秘められた満腹へのポテンシャルはなんなのだろう。イースト菌だろうか。
お風呂も自炊も気分が良くなる。気分転換だ。人は生活の中で、気分転換をしたいという欲求を持っている。ずっと一定のテンションやバランスが続く時にそれは水槽に入れられた水のように澱み、憂鬱がその澱みからやってくる。海の波のように気分が満ちたり引いたりすることで人はバランスをとっているのかもしれない。有名な話、治験で、一定期間ベッドの上でずっと横になっていれば沢山お金がもらえるというものがあり、実際にやる人はほとんどの人が耐えられないのだという。このことを気に留めておく。一定の気分、状態を引っ張りすぎないことだ。
ふと思ったのだが、子どもが大人から見ると無駄に、木の棒を振り回したり投げたりするのは、自分の手で何かをできるということを確認する意味合いがあるのではないか。何もできないという無力感は結構苦しいものだ。しかし、大人は木の棒を振り回したり投げたりすることは日常生活の中では難しい。別にやっても良いのだが。 そうなると、自分が自分の手で何かをしたということを確認する作業が料理になったり、絵を描くことになったり、何か趣味に打ち込んだり、そういう行為に転換しているのかもしれない。いや、他人はわからないが、私にとってはそういう感覚がある。
人工知能しかり、化学の発展、アプリ等を介したサービス、基本的に工程の簡略化、省略、という方向に向かっていく。家を出なくてもご飯が届くというのも、外出という工程の省略といえるし、お金を払えば片付けをしてくれるというのも省略だ。対価を払う代わりに工程を省略し結果を得る。 これでできることが広範囲に及んでいる状態は便利な社会といえるが、一方でそういう時代特有の憂鬱を抱え込んでいるようにも見える。気分転換していかなくては。
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