昨日は雪の日であった。雪を喜ぶ年頃は過ぎた感じもするが、久しぶりに空から水以外のものが降ってくるのを見るのは楽しい。しかし寒い。
雪の影響で、普段何も考えずに通っている道が水浸しになっていたり、足をとられそうな危うい雰囲気になっていたりで、交通ルールのマイナーチェンジが自ずと行われていた。人の感覚も晴れや雨の日と少し変わるようで、ぼうっと空を見上げている人や、微動だにせず立ち尽くしている人を良くみかけた。私は、雪の日でなくてもそういうことをやってしまうのだが。そして、職務質問をされる。
雪だ。「しんしん」という言葉が胸をよぎる。このオノマトペは言い得て妙である。それは音の名前ではなく空気や雰囲気の名前であり、こういう雪の日にしか、「しんしん」という言葉を体感として感じることがない。そこに少し感動するのは私があまり雪の降らない土地にばかりいたからだろうか。裏を返せば雪が多い土地の人には「しんしん」になんて飽きているのかもしれない。その人個人にとっての新鮮さがその人の感動をその人自身が作り出しているのだろうか。
雪だ。積もったばかりの白い雪の上を歩くと灰色の足跡がつく。車道にはタイヤの痕。それを追って次の車のタイヤの痕がつき、雪の積もる箇所と積もらない箇所に一定の規則性が生まれ、そこかしこの地面に雪とアスファルトの抽象画があった。地面のアスファルトはキャンバスとなり、空から雪が降り掛かり、その上を車が走って雪を削る。地のアスファルトをタイヤ痕を残した状態で露わにする。人間の営みは無意識的に路上の絵画の筆跡に組み込まれ、未完成のまま作り替えられている。地面の写真を撮った。
駅の構内に入ると、急に現実に引き戻された。いつもより濡れている駅といった感じだろうか。暖かい。そんな今日は、カフェラテの日。
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