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日記のログイン方法がわからなくなり放置してしまった。しかし、わかったのである。
文章を継続的に書いた後に書かない時間に置かれると、言葉が頭の中に貯まるような感覚になり、シャワーを浴びずに一日が終わっていくような気持ちの悪さもある。これは不思議なことなのだが、十年ほど前に色彩検定という資格を取った時には歩きながら、あれはライトブラウン!なんて思っていたので、気になっている、最近まで気にしていたことだけが記憶や見えるもの、聞こえるものになっていく。何かのきっかけで忘れていたことをするすると芋づる式に思い出したり、何かの話に感銘を受けるとその前と後で見える世界が変わったりする。これは良くも悪くも逃れられないことなので、どうそれを良く使っていくのかということを考えていかなくては。今は甲子園の時期でもあれば、何か悲惨な事件が起きている時期でもあるし、そのことについて楽しくも悲しくもなれる。今の私はどういう時期だと思おうとしているだろうか。
どう思わないかということは簡単なことである。幾らでも思いつくが、どう思うかというのは私にとって少し難易度が高いことでもある。子どもの頃に、周りの人が言うことに対して、それは違うとか、そうとは限らないと思って皮肉を言ったりしていたのが影響していると思う。今思うと、あの時に思わない訓練や反発する訓練でなく、思う、空想を計画に落とし込み実行する訓練をしておけば良かったのだが、それを悔いても仕方がない。今、訓練しているところで、これから徐々に発揮していくのだ。
思わないということから得たものもあったが、それは只の感情のはじまりであった。そのスタート地点で止まってしまうのは勿体無い。そしていつも何も始まらなかった。そこから、それじゃあどうするべきなのか、いや、べきなんてものは無く、どうしていきたいのかということを考え続け、時にそれが変わってしまっても、統一感の無さなんて気に留めず暮らしていくことがやりたい。
生真面目に「計画し、、」とか書いているが、適当でも良いのである。とにかく、完璧な下書きなんかせず、多少曖昧さや雑さがある下書きでもその後にある偶然や突発的なことに愛されると信じて色を塗ってみることだ。これからまた毎日日記も書いていく。
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