昨日は夕方から仕事だったがその前の時間が異様な充実度だった。17時に家でるからそれまでにああしてこうして、というのが充実のこつだ。当たり前なのかもしれないが。。 闇雲に時間をかけるのでなくそういう時間の使い方をしよう。ペインターパンツの膝がビリビリになっていたので縫って直した。すぐズボンが破けて直す癖がある。私は手縫いの裁縫が下手なのだが下手ゆえの味がある。破けるともう駄目な感じがするズボンやTシャツと、全然いける感じがするやつがあるのが昔から気になる。スーツは破けると駄目だ。ピカピカ、パリパリな状態のみ能力を発揮するものと、ぼろぼろ、ビリビリでも発揮するもの。違いは良くわからないが確かにある。この辺は明確な基準が無い所も面白い所である。デニムの素材は破けていることに対する社会的な耐性のようなものがある。スーツは破けていることが、ただ破けているのであり、破けてますよと言われてしまう。つまり破けているのは変な状態だという認識がなんとなくある。 これは何故なのだろう。やはり先人の振る舞いやファッションが現代特に意識していなくても強い影響を及ぼしているのだ。これから、ビリビリのスーツで登壇するカリスマ経営者やなんかがでてきたら、その10年後には破れたスーツで出社することなど当たり前のことになっているだろう。例えその人がカリスマ経営者のことを知らなくてもである。
そして、なんだよそんなの、破れてない方が良くねという人もでてくる。ある意味価値観というのは多数決で決まっているのかもしれない。が、多数決とは一応付き合いつつもあまり信用してはならない。多数にならないとまずいという焦りから自分の考えが無くなっていくのである。何もなくただ一人で考える時間というのを私は持っておきたい。私もあなたも多数とか少数とかではなく一人なのである。
コメント
コメントを投稿