世間の人過ぎず自分の世界にこもり過ぎず半分閉じることを意識していきたい。開いている時には半分閉じるが、閉まっている時には半分開ける。どちらも同じ状態なのだが、今の私がどの状態にいるのかということは考える必要がある。絵も、うわぁぁとなっている時には控えめに、ちまちましている時にはダイナミックにやった方が良いということがわかってきて、そのバランスをやりたい。ここまで言語化して、大抵辿り着くことが、物事には両義性があるのでどちらも大切にしようとか、右と左があってその間を選択しようということにしかならないことに今気づいた。もうその思考から卒業する時だ。それを前提としてどう進めるか。ボブマーリーは言った。認めない人にこそ必要なものだと。それはYouTubeで見たインタビューの中ではハーブの話なのだが、私はそれだけではないと思っている。他の色んなことにも例えて話していたはずだ。
今日も早起き。朝の散歩の後のiPhoneと向き合う至福の時間である。この機械は受信するだけでなく発信もできるのが面白い。永遠に発信することをしない人もいることが気になる。一度もSNSに登録したりしたことは無く、自ら何かを書いたりすることはせず、ただ情報を調べたりする為に使っている人も確かにいるはずなのだ。そういう人の方が賢いのだとも思う。私は目立ちたがり屋の間抜けなので、無駄なことを発信し過ぎる。良く考えると描いた絵を何でもかんでもインスタグラムに載せなくたって良いのだ。伝えたいことではなく思っていることを何でもかんでも話したり書いたりしてしまう。ユダヤの格言で愚か者とされている人間だ。こういう、とってつけた知識だけ豊富なのも特徴である。体系づけられたものは何も無い。むむ、朝っぱらから自虐的になっている。ただ、その駄目さを活かしたいと思っている。愚か者は必要に迫られて逆転の発想を生み出すのだ。そして必要は発明の母である。
この日記を書くのに使っているBloggerというwebサービスのことを気に入った。高校生くらいの時に流行った前略プロフィールという今考えればレトロ&エモーショナルな半閉じの感触がある。誰にでも開けているがなんとなく不気味なもの。それを覗き覗かれる。プライベートとパブリックの間の自由さと緊張感がある。SNSは結構難しい。というか私は実は苦手なのかもしれない。こういう一人で勝手にできることに焦点を合わせて書きたいことはここに書いていこう。そして相変わらず一人で勝手に作る。そして売りたい。
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