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7月, 2024の投稿を表示しています

無の後

ちゃんと格好つける人と自分を下げる人といて、何か大変だと、ここで頑張らねばダメだよと、はぁぁ、きちぃぃという言葉が同時に聞こえてくるような世界に沢山の人がいる。そしてそれは一人の同じ人間の中にあったりするが、バランスは人それぞれ全く違う。相反する要素を待ち合わせたまま浮いたり沈んだりして暮らしている。 この所、ロジックモードみたいなものに入っていたけれどまた変わってきた。? というか、状況によって変えるべきだという気持ちが増してきた。伝達を目的とするのか、散文を書いてすっきりするのか、色んな言葉の形があって、優劣は無いと言いたかったがそれもまた状況によるのだ。私の場合はむしろ優劣はあると考えた方が良いのかもしれない。例えばこれが論文だと考えるのであれば明らかに劣っているのだし、ただ心の声みたいなものを生のまま書いていると考えるのであれば優れている。アール・ブリュット的な文。色気や計算を排した異形のなにか。思いついたものをぺたぺたと貼っていくコラージュでできる抽象的な形。ぽけっと書かないとすぐに格好つけて、意味が通るように、とか、やりはじめるので、ぽけっとする。やるならちゃんとやった方が良いし、、やれてないし、やらないので、いや、やるのも良いのかもしれないが、それは紙に印刷して何か本にするとか、そういう時がいいな。これで意味が通るだろうか?これで良いのか?誤字脱字は無いか?すごく自分自身に問いをかけるだろう。そういう意味では、こういうブログというのはそれ未満というか、そんなん、出版したり、これを絶対見てくれ!みたいなものじゃないでしょという所にある力に振った方が私は良いと今思った。同じデジタル上の文でもネット記事とかだとまた違うのだと思う。

夏は毎年こんなに暑かっただろうか。マスクをつけていた年はどうやって生活していたのだろう。用もなくコンビニやスーパーに入って涼んでみたり、水やスイカバーを買ったりした。外にでると灼熱。うだるというのはこういうことなのだろう。相変わらず一日の途中に土砂降りの雨が降ったりする。日傘を持ち歩くというのは良いアイディアだろうな。雨が降ればそのまま雨傘になるのだし。問題は、私がそういう柄でないということなのだが。
かんかん照りかと思えば雷雨になったりとドラマチックな一日だった。天気が良かろうと悪かろうととにかく暑い。これが人に陽気さと焦燥を与えている感じがする。気候が人に与える影響をずっと前から考えている。

片付け

部屋の片付けをしようしようと試みるが遅々として進まず、なぜこんなに単純なことができないのかと悩む。何から手をつけて良いかわからない。イメージが湧かないのだ。 こういう部屋にしたい、するという目標があればできるのだろうか。その目標が持てない。特に無いのだろう。私にあるのは快適なのが良い、散らかっているより片付いていた方が良いはずという抽象的過ぎる意思だ。 夏バテ気味であまり調子が良くない。これも色々進まないことの原因だろう。ちょっと休むのも良いかもしれないと、横になり大きく伸びをした。日記が下手になっていることに気づいた。リハビリとして適当に書いてみる。お腹の調子が悪い。しじみの味噌汁を飲もう。ああいう、プハア系の飲み物が好きだ。そういう意味では、炭酸飲料も味噌汁も似ている。似ても似つかない二つの飲み物は、プハア系というジャンルによって結びついた。こういう、名付けによって関係なさそうなものが一緒のグループになることが気になる。 コンビニに行ってしじみではなくあさりの味噌汁を買った。なぜだか大きな貝の方が魅力的に見えた。お湯を注ぐ。店の外では電灯の光に向かって虫たちが突撃していた。夏の風物詩であり、昔は何故そんな行動をするのか意味がわからず怖かった記憶があるが、今はどちらかというと共感している。懸命に生きていく。 暑い疲れたお腹痛いというかなり駄目な独り言を言った。味噌汁を飲むと少し落ち着いた。お腹に染みる。トランプも買おうと思ったけど、行ったコンビニにはなかった。